24時間テレビ マラソン歴代ランナー一覧 全34回・距離と最速記録を完全網羅【2026年最新】

24時間テレビ チャリティーマラソン歴代ランナーの完全ガイド - 1992年から2025年まで全34回の記録を網羅。黄色いチャリティーTシャツを着た様々な年齢層のランナーたちが道路を走り、応援する観客が旗やバナーを掲げる感動的なマラソンシーン 歴代エンタメ
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「24時間テレビのマラソン、歴代で一番すごかったのは誰?」
「距離ってどのくらいだったっけ?」——この記事では、
1992年の第1回から2025年まで全34回分の歴代ランナーと
走行距離を一覧表で完全網羅しています。
最速記録の根拠・リタイア・やらせ疑惑の真相まで、
これ1記事で全部わかります。


24時間テレビ チャリティーマラソン 歴代ランナー完全一覧(1992〜2025年)

1992年の第15回放送からスタートした24時間テレビの
チャリティーマラソン。以下の表で全回分のランナー・距離・
完走結果を一気に確認できます。

ランナー年齢走行距離完走
第15回1992年間寛平43歳153km(200km予定)❌リタイア
第16回1993年間寛平44歳200km✅時間内
第17回1994年ダチョウ倶楽部31〜33歳100km❌時間外
第18回1995年間寛平46歳600km(7日間)✅完走
第19回1996年赤井英和37歳100km✅延長放送で完走
第20回1997年山口達也(TOKIO)25歳100km✅時間内
第21回1998年森田剛(V6)19歳100km✅時間内
第22回1999年にしきのあきら50歳110km✅時間内
第23回2000年トミーズ雅40歳150km✅時間内
第24回2001年研ナオコ48歳85km✅時間内
第25回2002年西村知美31歳100km✅時間内(ワープ疑惑あり)
第26回2003年山田花子28歳110km❌放送終了後1時間でゴール
第27回2004年杉田かおる39歳100km✅時間内
第28回2005年丸山和也59歳100km✅時間内
第29回2006年アンガールズ30歳100km✅時間内
第30回2007年萩本欽一66歳70km❌放送終了後にゴール
第31回2008年エド・はるみ44歳113km✅時間内
第32回2009年イモトアヤコ23歳126.585km❌放送終了後にゴール
第33回2010年はるな愛38歳85km✅時間内
第34回2011年徳光和夫70歳63.2km✅時間内
第35回2012年佐々木健介・北斗晶ファミリー9〜46歳計120km(リレー)✅時間内
第36回2013年大島美幸(森三中)33歳88km以上❌放送終了後にゴール
第37回2014年城島茂(TOKIO)43歳101km✅時間内
第38回2015年DAIGO37歳100km✅時間内
第39回2016年林家たい平51歳100.5km✅時間内
第40回2017年ブルゾンちえみ27歳90km✅時間内
第41回2018年みやぞん33歳161.55km(トライアスロン:スイム1.55km+バイク60km+ラン100km)✅時間内
第42回2019年近藤春菜・よしこ・水卜麻美・いとうあさこ28〜49歳計148.78km(リレー)❌最終走者は時間外
第43回2020年高橋尚子ほか5名計236km(リレー・私有地)✅完走
第44回2021年岸優太ほか10名計100km(リレー)✅完走
第45回2022年兼近大樹(EXIT)31歳100km✅時間内
第46回2023年ヒロミ58歳102.3km✅時間内
第47回2024年やす子25歳81km✅時間内
第48回2025年横山裕(SUPER EIGHT)44歳105km✅時間内

一覧表の見方・補足説明

「距離」はすべて走行実績(設定距離ではなく実際に走った距離)を
記載しています。完走欄の「❌」は放送時間内のゴールができなかった
回または途中棄権を指し、番組終了後にゴールした回も含まれます。

1995年の間寛平は「7日間・600km」という特別企画のため、
通常の24時間枠とは異なります。2019年以降はリレー・複数人形式が
増えており、個人の走行距離はそれぞれ異なります。

距離の決め方は年によってさまざまです。
2013年の大島美幸はランナーの体重(88kg)をそのまま距離に設定。
2016年の林家たい平は師匠・林家歌丸の本名「椎名巌(いわお)」に
ちなんで「いわおゴー=100.5km」という語呂合わせで決定されました。
このように「その年ならではの設定理由」があるのも、
このマラソン企画の面白さの一つです。


過去最速は誰?「最速」を距離とペースで徹底比較

「過去最速は誰?」という問いに対して、「間寛平(1993年)」という
答えは多くのサイトに書かれています。しかし、なぜ最速と言えるのか
データで示している記事はほとんどありません。ここでは
「1時間あたり何km走ったか」という共通指標で歴代ランナーを比較します。

1993年・間寛平200kmが歴代最速である理由

間寛平は1993年の第16回放送で、200kmを24時間以内に完走しました。 200kmを24時間で割ると、平均時速は約8.3kmになります。

「時速8.3km」と言われてもピンとこない方のために、身近な例で比べてみましょう。

  • 🚶 人が普通に歩く速さ:時速約4〜5km
  • 🏃 軽いジョギング:時速約7〜8km
  • ✅ 間寛平(1993年)の平均ペース:時速約8.3km
  • 🚴 自転車(ゆっくり走行):時速約15km

つまり間寛平は、24時間ずっとジョギングより速いペースを維持し続けたことになります。しかも距離は200km。東京から名古屋までの直線距離とほぼ同じです。

1kmあたりのペースに直すと約7分12秒。これを200回繰り返したと考えると、その異次元さが伝わるでしょう。

ペース換算で見る歴代ランナー比較表

主要ランナーを「推定走行時間」と「平均時速」で比較しました。
数字で見ると、間寛平の記録がいかに突出しているかがよくわかります。

ランナー距離推定走行時間換算平均時速
1993年間寛平200km約24時間約8.3km/h
2000年トミーズ雅150km約24時間約6.3km/h
2018年みやぞん(ランのみ100km)100km約20時間約5.0km/h
2009年イモトアヤコ126.585km約30時間※約4.2km/h
2023年ヒロミ102.3km約24時間約4.3km/h
2024年やす子81km約24時間約3.4km/h

※イモトアヤコは放送終了後にゴールしたため推定時間が長め

この表からわかるように、「距離の絶対値」だけでなく
「単位時間あたりの速さ」という観点でも、間寛平1993年は群を抜いています。
「最速」という評価は感覚ではなく、数字に裏付けられた事実です。


企画フォーマットの変遷|なぜ距離は毎年違うのか

24時間テレビのマラソン企画は、34年の歴史の中で
3つの時代に分けられます。距離がバラバラに見えるのは、
その時代ごとに企画の設計思想が大きく変わってきたからです。

視聴率という観点でテレビ史を俯瞰したい方は、
大河ドラマ歴代視聴率一覧
でも日本のテレビ番組の数字の変遷を確認できます。

第1期:超長距離時代(1992〜1995年)

初代ランナーの間寛平が「200km」という水準を設定したため、
この時代は圧倒的な距離が当たり前でした。
1995年には阪神・淡路大震災の復興企画として
「7日間・600km」という別次元の挑戦が行われ、
マラソン企画は番組の象徴となりました。
この4年間で間寛平だけで合計953kmを走っています。

第2期:100km標準化時代(1996〜2018年)

1996年以降は「100km」が事実上の標準距離となりました。
ランナーの体力・年齢・キャラクターに合わせて
80〜130kmの範囲で調整するスタイルが定着し、
24時間でフルマラソン約2.4本分を走る企画として
毎年夏の風物詩に根付きました。

2018年のみやぞんはスイム1.55km・バイク60km・ラン100kmという
トライアスロン形式で計161.55kmに挑戦し、
この時代の最後を飾る記録を残しました。

第3期:コロナ以降の変革期(2019〜現在)

2019年に4人リレー形式が導入され、2020年の新型コロナウイルスの
影響で公道マラソンが中止に。私有地での「1周5km・1周ごとに
10万円の募金リレー」という全く異なる形式へと変化しました。

2022年以降は単独ランナー・100km前後に戻りつつありますが、
2024年のやす子は81kmと距離が縮小傾向にあります。
企画の意義や形式を問い直す声が視聴者の間で高まっています。


間寛平という「規格外のランナー」の実力

なぜ間寛平だけが200kmを走れたのか。
それは彼が「芸能人」である前に
「本物のウルトラマラソンランナー」だったからです。

間寛平のランナーとしての主な実績は次のとおりです。
フルマラソンのベストタイムは3時間8分42秒
(1998年ラスベガスマラソン)。
これは市民ランナーとしては驚異的な水準です。
ギリシャのスパルタスロン(アテネ〜スパルタ間・246km)は
3度完走。そして2008〜2011年には、ランニングとヨットで
地球を一周するアースマラソンを766日かけて完走
(約4万1,000km)という人類初の偉業を成し遂げています。

このバックグラウンドがあったからこそ、200kmは
「余裕ではないが計算上可能な距離」でした。
1992年のリタイアは体力的な問題ではなく、走行ルートを
事前公表したために沿道に観客が殺到し、
走行不能になったという外部要因によるものです。
翌1993年は走行ルートを非公開にして臨み、
見事に完走を果たしました。

他のランナーの最長記録がみやぞんの161.55km
(トライアスロン込み)であることを考えると、
間寛平の200km単独完走がいかに規格外であるかが
伝わるでしょう。


時間内完走できなかったランナー・リタイア一覧

「感動のゴール」ばかりが記憶に残りやすいですが、
歴代34回のうち「放送時間内にゴールできなかった」回は、
実は少なくありません。以下にまとめます。

ランナー状況
1992年間寛平153km地点で棄権(観客殺到のため走行不能)
1994年ダチョウ倶楽部時間内に完走できず(詳細不明・疑惑あり)
1996年赤井英和一般参加者の遅延で出発が遅れ、放送延長でゴール
2003年山田花子放送終了後1時間でゴール(松岡修造に抱きしめられ夢叶う)
2007年萩本欽一残り900mで放送終了、その後自力でゴール達成
2009年イモトアヤコ選挙特番のため放送終了、ゴール中継なし
2013年大島美幸放送終了後、続く「行列のできる法律相談所」放送中にゴール
2019年いとうあさこ(最終走者)リレーの最終走者が放送時間内に間に合わず、その後ゴール

歴代を通じて「完全なリタイア(以降もゴールできなかった)」は
1992年の間寛平のみです。
それ以外の全員が、放送終了後であっても自力でゴールを
果たしています。この事実は、マラソン企画の「やらせ疑惑」への
一つの反証にもなっています。


やらせ・ワープ疑惑の真相を整理する

「24時間テレビのマラソンはやらせでは?」という疑惑は、
特に2000年代以降インターネット上で繰り返し話題になりました。
このセクションでは「確認された事実」と
「疑惑止まりで真偽不明のもの」を分けて整理します。

事実として確認されている問題

2006年・アンガールズ回での不祥事:スタッフが沿道の
おばあさんに向かって「触らないで!」と怒鳴る場面が
ネット上に拡散しました。また同年、マイクの切り忘れによって
並走スタッフの本音がテレビで流れる場面も発生しています。
どちらも番組の運営体制に対する批判を高める出来事となりました。

はるな愛(2010年)の距離報告はデマと判明
一部の追跡者が「62.9kmしか走っていない」という
観測結果をネットに投稿しましたが、後の詳細調査で
85km走行は確認されています。
ネット上の情報には不確かなものも多く、注意が必要です。

「疑惑」と言われているが真偽不明のもの

ダチョウ倶楽部(1994年)への疑惑:ダチョウ倶楽部回については、
ビートたけしが後年のバラエティ番組内でダチョウ倶楽部の走行距離に
疑問を呈する発言をしたとされています。ただし、発言の正確な内容・
場所は複数の一次情報源で確認できておらず、当事者・番組側からの
公式なコメントも存在しません。現時点では「疑惑がある」という
事実のみが確認されており、真偽は不明のままです。

西村知美(2002年)のワープ疑惑:残り30kmが1時間後に
10kmになったとの観測から「車移動では?」と疑われました。
本人・番組側からの説明はなく、現在も真相は不明のままです。
これが以降の「追跡班文化」誕生の直接的なきっかけとなりました。

視聴者追跡班という文化が生まれた背景

2002年の西村知美ワープ疑惑をきっかけに、2003年から
2ちゃんねる発祥の「24時間マラソン追跡団」が誕生しました。
「来年から追跡監視しよう」という書き込みが有志を集め、
自転車でランナーを追走しながら距離計測器で実際の
走行距離を確認するという市民監視活動が毎年続くように
なりました。

北斗晶は後のラジオでこう振り返っています。
「信号待ちで泣いていたら、追跡班の方と目が合って
『あともうちょっとだから頑張れ』と励まされた。
この人たちいい人だと思った」。
疑惑を監視する目が、いつしか応援に変わっていく——
番組と視聴者の奇妙で温かい共創関係が、
ここに生まれていました。

テレビ番組の歴代まとめとして、
M-1グランプリ歴代優勝者一覧
もあわせてご覧ください。2001年から続く漫才の歴史を
全21代分まとめています。


まとめ|24時間テレビ マラソンの歴代記録が示すもの

1992年から2025年まで全34回の
24時間テレビ チャリティーマラソン歴代ランナーをまとめました。
最後に要点を整理します。

  • 最速ランナー:1993年・間寛平(200km・平均時速約8.3km)
  • 最長距離:1995年・間寛平(7日間・600km)
  • 女性最長:2009年・イモトアヤコ(126.585km)
  • 最年長:2011年・徳光和夫(70歳・63.2km)
  • 最年少:2009年・イモトアヤコ(当時23歳)
  • 唯一の完全リタイア:1992年・間寛平(観客殺到による走行不能)
  • やらせ疑惑:「事実確認のもの」と「真偽不明のもの」が混在

距離の縮小傾向や形式変更が続く近年のマラソン企画ですが、
34年分の記録を並べてみると、時代ごとの社会情勢や
テレビの変化が如実に反映されていることがわかります。
間寛平が超長距離を駆け抜けた時代、100kmが当たり前になった時代、
コロナで公道が使えなくなった時代——それぞれの時代のランナーが、
それぞれの形で視聴者に走る姿を届けてきました。

テレビの歴代シリーズとして、
朝ドラ歴代ヒロイン一覧
も1961年から全114作を一覧表でまとめています。
テレビ史に興味がある方はあわせてご覧ください。

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