アジア大会がタイのバンコクで4回も開催された最大の理由は、1970年と1978年に、ほかの開催地が返上した大会をバンコクが引き受けたためです。
バンコクで開かれたのは、1966年、1970年、1978年、1998年の4大会です。ただし、4回とも同じ経緯で選ばれたわけではありません。
- 1966年:バンコクで初開催
- 1970年:開催を返上したソウルに代わって実施
- 1978年:シンガポール、イスラマバードの返上後に実施
- 1998年:タイが改めて招致して実施
つまり、最初の開催実績に加え、2度の代替開催と、その後の招致によって合計4回になりました。
この記事では、バンコクがアジア大会を4回開催することになった経緯を、大会ごとに整理します。
第1回から第20回予定までの開催国・都市は、アジア大会の歴代開催地一覧で確認できます。
バンコク開催4大会の違い
バンコクで開催された4大会を、開催地決定の経緯で比較すると次のようになります。
| 回 | 年 | 開催の位置づけ | 主な経緯 |
|---|---|---|---|
| 第5回 | 1966年 | 初開催 | バンコクが開催地となり、18の国・地域が参加 |
| 第6回 | 1970年 | 代替開催 | 当初の開催地ソウルが返上し、前回開催地のバンコクが引き受けた |
| 第8回 | 1978年 | 代替開催 | シンガポール、イスラマバードの返上後、バンコクが引き受けた |
| 第13回 | 1998年 | 招致による開催 | 2度の代替開催を経た後、タイが改めて招致して開催した |
4大会のうち、開催地返上を受けてバンコクが代替地になったことを明確に確認できるのは、1970年と1978年の2大会です。
1966年|バンコクで初めてアジア大会を開催
バンコクで最初に開かれたのは、1966年の第5回アジア大会です。
アジア・オリンピック評議会(OCA)の大会記録によると、大会は1966年12月9日から20日まで開催されました。18の国・地域が参加し、14競技が実施されています。チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会の大会記録では、バンコクは対立候補がない中で開催権を得たと説明されています。
この1966年大会は、1970年や1978年のように、別の開催地が返上したためバンコクへ移された大会ではありません。バンコクにとって通常の開催地決定を経た最初のアジア大会でした。
OCAは1970年大会について、前回開催国だったタイが大会を引き受けたと記録しています。
1970年|ソウルの返上でバンコクが2大会連続開催
1970年の第6回大会は、当初からバンコクで開催する予定だったわけではありません。予定されていた開催地は韓国のソウルでした。
OCAの1970年大会記録は、ソウルが北朝鮮からの安全保障上の脅威を受けて開催を断念し、前回開催地だったタイが大会を引き受けたと説明しています。また、開催には韓国側の資金が使われたと記録されています。
そのため、バンコクは1966年に続いて1970年も開催地となり、2大会連続開催になりました。
これは、バンコクが最初から連続開催を希望して選ばれたのではなく、ソウルの返上後に大会を存続させるための代替開催でした。
1978年|2都市が返上し、バンコクが再び救済
1978年の第8回大会は、開催地が二転三転した大会です。
JOCの「アジア大会物知り事典」によると、最初に開催地へ選ばれたのはシンガポールでした。この開催地選考には福岡市も立候補していましたが、シンガポールが選ばれています。
ところが、シンガポールは1973年10月に財政上の理由で開催を返上しました。その後、パキスタンのイスラマバードが代替開催地に決まりましたが、こちらも返上。大会そのものが開催できなくなる危機を迎えました。
開催に向けた最終決着は、大会前年の1977年7月でした。JOCは、15か国が合計268万4,186米ドルの分担金を負担して大会を実施したと説明しています。
イスラマバードの返上理由は公式資料で説明が異なる
イスラマバードが返上した理由については、公的資料の説明が一致していません。
- JOC:パキスタン国内の財政事情
- OCA:バングラデシュ、インドとの対立
OCAの1978年大会記録は、シンガポールについては財政上の理由、パキスタンについてはバングラデシュおよびインドとの対立が理由だったと説明しています。
したがって、イスラマバードの返上を一つの理由だけで断定するのではなく、資料によって説明が異なる点に注意が必要です。どちらの記録でも、複数の候補地が開催できなくなり、最後にタイが引き受けたという大筋は共通しています。
1998年|代替開催ではなく、招致によって4回目
1998年の第13回大会で、バンコクは同一都市として史上最多となる4回目の開催を迎えました。
OCAの1998年大会記録は、1970年と1978年に開催権を引き受けた後、タイが自ら招致した最初の大会だったと説明しています。
この点が、開催危機を救うために実施した1970年・1978年大会との大きな違いです。1998年大会は、過去の代替開催ではなく、タイが開催を目指して選ばれた大会でした。
大会は1998年12月6日から20日まで開催され、6,554人の選手が参加。36競技376種目が実施されました。
バンコクが何度も開催地になった3つの理由
4大会の経緯を通して見ると、バンコクでの開催が多くなった理由は、次の3点に整理できます。
1.1966年大会に続いてタイが引き受けた
バンコクは1966年にアジア大会を開催しました。その後、ソウルが1970年大会を返上した際、OCAの記録では、前回開催国だったタイが代替開催を引き受けたと説明されています。
2.1970年と1978年の開催危機を引き受けた
4回という数字を生んだ最大の要因です。
1970年はソウル、1978年はシンガポールとイスラマバードが開催できなくなりました。バンコクはこの2大会を引き受け、大会の中止を防いでいます。
OCAもタイについて、アジアのスポーツへ継続的に協力してきた開催国として評価しています。
3.1998年には改めて開催を目指した
バンコクの4回目は、緊急の代替開催ではありませんでした。
1970年と1978年に大会を引き受けた実績を持つタイが、1998年大会を改めて招致して開催しました。これによりバンコクは、アジア大会を4回開催した最初の都市になりました。
よくある質問
アジア大会を最も多く開催した都市はどこ?
タイのバンコクです。1966年、1970年、1978年、1998年の4回開催しています。
なぜバンコクは2大会連続で開催したのですか?
1970年大会の開催地だったソウルが、安全保障上の問題から開催を返上したためです。前回の1966年大会を開催したバンコクが代替地となり、2大会連続開催になりました。
バンコクは4回とも立候補して選ばれたのですか?
いいえ。1970年と1978年は、ほかの開催地が返上した後の代替開催です。OCAは1998年大会を、2度の代替開催後にタイが自ら招致した大会として説明しています。
1978年大会は最初からバンコク開催でしたか?
いいえ。最初に選ばれたシンガポールが返上し、代替地のイスラマバードも返上した後、バンコクでの開催が決まりました。
バンコクで5回目のアジア大会が開かれる予定はありますか?
2026年9月2日時点で、OCAの大会一覧に掲載されている今後の夏季大会は、2026年の愛知・名古屋、2030年のドーハ、2034年のリヤドです。バンコクでの5回目の開催は決まっていません。
まとめ
アジア大会がバンコクで4回開催された最大の理由は、1970年と1978年の2大会で、開催を返上した都市に代わってバンコクが大会を引き受けたためです。
1966年に初開催した後、1970年はソウルの返上、1978年はシンガポールとイスラマバードの返上を受けて代替開催しました。そして1998年にはタイが改めて大会を招致し、4回目の開催につながりました。
バンコクが単純に4回連続で選ばれたのではなく、2度にわたって開催危機を引き受けた歴史が、最多開催記録の背景にあります。
