皐月賞と日本ダービーを同じ年に勝ちながら、菊花賞に出走しなかった馬は、2025年までに8頭います。
その8年に菊花賞を勝ったのは、トラツクオー、セントオー、ニホンピロムーテー、コクサイプリンス、ミナガワマンナ、レオダーバン、マチカネフクキタル、キタサンブラックです。
「春の二冠馬はなぜ出なかったのか」「その年の最後の一冠は誰が勝ったのか」を、一覧と主なエピソードで整理します。
※本記事の「二冠馬」は、皐月賞・日本ダービーの同年優勝馬を指します。春二冠馬が誕生しなかった年は対象外です。集計対象は2025年までに終了した菊花賞で、確認日は2026年9月4日です。
三冠達成馬や菊花賞に出走して敗れた馬も含む全体像は、皐月賞・日本ダービー二冠馬の歴代一覧をご覧ください。
二冠馬が出走しなかった菊花賞の歴代勝ち馬一覧
二冠馬の不出走年と、その年の菊花賞馬を対応させると、次の8組になります。
| 年 | 菊花賞に出走しなかった二冠馬 | その年の菊花賞馬 | 優勝騎手 |
|---|---|---|---|
| 1951 | トキノミノル | トラツクオー | 小林稔 |
| 1952 | クリノハナ | セントオー | 梅内慶蔵 |
| 1971 | ヒカルイマイ | ニホンピロムーテー | 福永洋一 |
| 1975 | カブラヤオー | コクサイプリンス | 中島啓之 |
| 1981 | カツトップエース | ミナガワマンナ | 菅原泰夫 |
| 1991 | トウカイテイオー | レオダーバン | 岡部幸雄 |
| 1997 | サニーブライアン | マチカネフクキタル | 南井克巳 |
| 2015 | ドゥラメンテ | キタサンブラック | 北村宏司 |
出典:WIN!競馬「二冠馬の菊花賞成績一覧」、デイリースポーツ「菊花賞・歴代優勝馬」。1981年・1997年・2015年の勝ち馬と騎手は、後述のJRA公式結果でも照合しています。
この一覧は「二冠馬の三冠を阻止した馬」の一覧ではありません。二冠馬自身が出走していないため、菊花賞で直接対決して勝ったわけではない点が重要です。
二冠馬が菊花賞に出なかった理由
不出走の背景には死亡や故障があります。ただし、古い年代は確認できる資料の詳しさが異なるため、病名・部位・発症時期をすべて同じ精度で示せるわけではありません。
| 二冠馬 | 確認できる不出走の事情 |
|---|---|
| トキノミノル | 日本ダービー後に破傷風で死亡 |
| クリノハナ | 故障と報じられる。詳しい病名・部位は本記事では未確認 |
| ヒカルイマイ | 体調を崩し、京都新聞杯9着の後に菊花賞を断念。屈腱炎発症の経緯も伝えられる |
| カブラヤオー | 菊花賞を目指す秋に屈腱炎を発症し、再発によって出走を断念 |
| カツトップエース | 脚部不安。屈腱炎による不出走とする資料がある |
| トウカイテイオー | 日本ダービー後に骨折が判明 |
| サニーブライアン | 骨折で菊花賞を断念 |
| ドゥラメンテ | 日本ダービー後に両前脚の骨折が判明し、休養 |
各馬の根拠と、資料上の注意点は以下のとおりです。
トキノミノルはダービー優勝の17日後に死亡
1951年のトキノミノルは、10戦全勝で皐月賞と日本ダービーを制しました。しかし、日本ダービー優勝の17日後に破傷風で死亡し、秋の菊花賞を迎えることはできませんでした。
JRAの「トキノミノル記念」の競走名解説も、この戦績と死因を記しています。その年の菊花賞馬はトラツクオーでした。JRA「特別競走名解説」
クリノハナ・ヒカルイマイ・カブラヤオー・カツトップエースの不出走事情
1952年のクリノハナは故障、1981年のカツトップエースは屈腱炎によって菊花賞に出走できなかったと、競馬専門媒体のGJが説明しています。ただし、この2頭については当時の公式発表までは確認できていないため、クリノハナの故障部位などは断定していません。GJ「菊花賞に辿り着けなかった二冠馬たち」
1971年のヒカルイマイについて、JBISの回顧コラムは、秋に体調を崩して京都新聞杯9着となり、菊花賞を断念し、屈腱炎を発症した経緯を記しています。原因に関する記述には推測を含むため、本記事では削蹄との因果関係や発症日までは確定して扱いません。JBIS「第312便 サラ系セイシュン」
1975年のカブラヤオーは、菊花賞を目指していた9月に屈腱炎を発症。一度は回復の兆しが見られたものの、再発して出走を断念したと記録されています。JBIS「第112回 同時」
春の二冠を勝ったことと、秋の菊花賞に出走できる状態を保つことは別です。「菊花賞で負けた」とひとまとめにせず、出走に至らなかった経緯を分けて見る必要があります。
トウカイテイオー・サニーブライアン・ドゥラメンテは骨折
1991年のトウカイテイオーは、無敗で皐月賞と日本ダービーを制しましたが、ダービー後に骨折が判明。菊花賞に出走できず、父シンボリルドルフに続く三冠への挑戦はかないませんでした。JRA「トウカイテイオー」
1997年のサニーブライアンも、骨折によって菊花賞を断念しました。その後には屈腱炎を発症して引退しており、「菊花賞を見送った事情」と「最終的な引退までの経緯」は区別して捉える必要があります。netkeiba「97年クラシック2冠馬サニーブライアンが死亡」
2015年のドゥラメンテは、日本ダービー後に両前脚の骨折が判明しました。生産・育成を担ったノーザンファームは、両前膝の骨片剥離が見つかり、協議の末に休養と骨片除去手術を決めたと説明しています。秋の不出走を、単なる距離適性や別路線の選択と捉えるのは適切ではありません。ノーザンファーム「ドゥラメンテ」、JRA-VAN「ドゥラメンテ」
二冠馬不在の菊花賞で生まれた秋の主役
二冠馬が不在だったという共通点があっても、その年のレース内容まで同じになるわけではありません。ここでは、公式結果から特徴を確認できる3例を紹介します。
1981年:14番人気のミナガワマンナが4馬身差で勝利
カツトップエースが出走しなかった1981年は、菅原泰夫騎手が騎乗する14番人気のミナガワマンナが優勝。1番人気のサンエイソロンに4馬身差をつけました。
勝ち馬の父は三冠馬シンザンです。二冠馬の不在だけでなく、人気薄の勝利と三冠馬の血を受け継ぐ馬の戴冠という点でも目を引く一戦でした。JRA「1981年 菊花賞」、JBIS「ミナガワマンナ」
1997年:マチカネフクキタルが夏から秋の4連勝
サニーブライアン不在の1997年は、マチカネフクキタルが優勝しました。さくらんぼステークス、神戸新聞杯、京都新聞杯、菊花賞と、夏から秋にかけて4連勝を記録しています。
菊花賞では南井克巳騎手が騎乗し、3番人気で勝利。春の二冠馬に代わり、夏以降に勝利を重ねた馬が最後の一冠を手にしました。ジャパン・スタッドブック・インターナショナル「マチカネフクキタル」、JRA「1997年 菊花賞」
2015年:ドゥラメンテ不在の菊花賞をキタサンブラックが制覇
2015年の菊花賞馬はキタサンブラックです。北村宏司騎手が騎乗し、リアルスティールをクビ差で抑えて優勝しました。JRA「2015年 菊花賞」
よくある質問
トウカイテイオーが出なかった年の菊花賞馬は?
1991年のレオダーバンです。岡部幸雄騎手が騎乗し、イブキマイカグラを抑えて優勝しました。JRA「レオダーバン・競走成績」
菊花賞に出ていたら三冠馬になれましたか?
実際には出走していないため、断定できません。春の実績は評価できますが、仮定の結果と実際の競走成績は分けて考える必要があります。
2026年の菊花賞も8回の集計に含まれていますか?
含めていません。本記事は2025年までの確定結果を集計しています。2026年9月4日時点では同年の菊花賞は未実施のため、開催後に出走の有無と結果を確認して更新します。JRA「2026年 菊花賞」
まとめ
2025年までに、皐月賞・日本ダービーの二冠馬が菊花賞に出走しなかった年は8回あります。1951年のトラツクオーから2015年のキタサンブラックまで、それぞれ別の馬が最後の一冠を獲得しました。
不出走理由には死亡や故障があり、菊花賞に出走して敗れた場合とは区別する必要があります。
二冠馬全体の成績は皐月賞・日本ダービー二冠馬の歴代一覧、ダービーの各年の優勝馬・騎手・タイムは歴代ダービー馬一覧で確認できます。

