第1回アジア大会はなぜ1951年?1950年開催予定から延期された理由

歴代スポーツ
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

アジア大会の歴代開催年を見ると、最初は1951年、その次は1954年と並んでいます。「原則4年ごとの大会なのに、なぜ第1回だけ1951年なの?」と疑問に思うかもしれません。

第1回アジア大会が1951年になったのは、当初予定していた1950年の開催に準備が間に合わず、翌年へ延期されたためです。OCA(アジア・オリンピック評議会)も、1950年から1951年への変更理由を準備の遅れと説明しています。出典:OCA・第1回大会記録

具体的には、競技用具の調達の遅れが延期の一因でした。この記事では、開催計画から1951年3月の開幕までと、次の大会が1954年に開かれたことを整理します。

全大会の開催年と都市は、アジア大会の歴代開催地一覧をご覧ください。

スポンサーリンク

第1回大会は1950年の開催を予定していた

大会創設の話し合いは、1948年のロンドン・オリンピック開催中に進められました。日本陸上競技連盟の年史によると、インドのソンディIOC委員の提案でアジア諸国の代表が集まり、アジア独自の総合競技大会を開くことに合意しています。出典:日本陸上競技連盟史

第1回の開催地はインドのニューデリー。マレーシア・オリンピック評議会も、1950年開催で合意した大会が延期され、1951年に実施されたと記録しています。出典:マレーシア・オリンピック評議会

つまり、1951年を出発点として開催周期を決めたのではなく、1950年に開くはずだった第1回が翌年へずれ込んだ、という順序です。

延期の一因は、ヨーロッパに発注した競技用具の遅れ

JOC(日本オリンピック委員会)の「アジア大会物知り事典」は、準備のどこに問題があったのかを具体的に説明しています。

インドは競技会場の新設・改築を進める一方、競技用具をまとめてヨーロッパに発注しました。しかし、1950年秋までにはニューデリーに届かない見通しとなり、これが延期の理由の一つになったとされています。JOCは、第二次世界大戦後の物資不足の中で、競技用具の確保が難しかったことにも触れています。出典:JOC・アジア大会物知り事典

日本陸連の年史も、器具の調達などが大幅に遅れ、開催が1951年3月になったと説明しています。出典:日本陸上競技連盟史

ここは「用具が届かなかったことだけが原因」と言い切らないのが大切です。公式資料を合わせると、延期理由は準備の遅れであり、その具体例として用具の調達問題が確認できます。

実際の開催は1951年3月4日〜11日

第1回大会は、1951年3月4日から11日までニューデリーで開催されました。開催地を別の都市へ移したのではなく、ニューデリーで開催時期を変更した大会です。出典:OCA・第1回大会記録

開催国のインド・オリンピック協会も、この開催期間と、当時のラジェンドラ・プラサド大統領が開会を宣言したことを記録しています。出典:インド・オリンピック協会

準備の遅れで1950年には実現しなかった大会が、翌年3月に開幕したことから、歴代一覧の第1回は「1951年」となっています。

第2回が1954年なのは、3年ごとの大会だったから?

いいえ。第1回と第2回の間が3年だからといって、当初は3年周期だったわけではありません。日本陸連の年史では、大会創設時からオリンピックの中間年に4年に1度実施する計画だったと説明しています。出典:日本陸上競技連盟史

実際の初期の開催年は、次のように並びます。

大会開催年開催地前回との開催年の差
第1回1951年ニューデリー
第2回1954年マニラ3年
第3回1958年東京4年
第4回1962年ジャカルタ4年

出典:JOC・アジア競技大会 日本の大会参加状況

第1回は1951年へ延期されましたが、第2回は1955年ではなく1954年に開催されました。そのため、最初の2大会の開催年の差だけが3年となり、その後は1958年、1962年と4年刻みで続いています。

まとめ

第1回アジア大会が1951年に開かれた理由は、1950年開催予定から、準備の遅れによって延期されたためです。競技用具の調達の遅れも、その一因でした。

「最初から1951年開催の計画だった」「初期は3年ごとの大会だった」のではありません。初回の延期と、第2回が1954年に開かれたことを分けて考えると、開催年の並びを理解できます。

以降の開催都市や日本での開催歴は、アジア大会の歴代開催地一覧にまとめています。

参考資料


タイトルとURLをコピーしました